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1999年12月28日 (火)

第8回 1999年全重賞 西田スポニチ予想成績

 1999年「スポーツニッポン(東日本版)」に掲載した西田和彦の全重賞予想(障害戦を除く)の成績です。記憶から抹殺したくなるようなアホ予想もありました。素直になれず、無理して穴予想に走って、簡単にとれるレースも外しています。すみません。

 重賞は全部で117レースありましたが、的中が48レース。的中率は41パーセントでした。配当総額は9万8480円。買い目は標準的に7点でしたから、回収率は120パーセント。今年も一応プラスで終わることができました。
今年の会心の予想はジャパンカップです。万馬券になりましたが、配当よりも自分に迷いがなく、確信を持って予想できたことがうれしかったです。たぶん負けたとしても納得できたと思います。同じようにスプリンターズテークスでキングヘイローを本命にしましたが、結果は3着。それも納得しています。

 競馬の予想に運はつきものですが、運だけでは勝てないのも競馬です。データ
を十分に読み込み、想像力を広げ、納得のいくまで考え続けて初めて、自分が確
信できる予想になるのではないでしょうか。限られた時間の中で、そこまで自分を昇華させるのはなかなか難しいことですが、これからも努力は惜しまないつもりです。

 新しい2000年をスピード指数と、スピード指数を愛してくださっているみなさんとともに、自信を持って進みたいと思います。

 来年も「スポニチ」のご愛読、よろしくお願いいたします。

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1999年12月27日 (月)

第7回 有馬の日

 水割りを2杯飲んで床に入ったが、興奮を抑えきれず、なかなか寝付けなかった。布団に入ったまま身じろぎもせず、眠りを待ってみるものの、ますます頭がさえてくる。仕方なくタバコを吸う。テレビをつけると有馬記念の特集で、つい見入ってしまう。バッグにしまい込んだ競馬新聞をまた取り出して、出馬表を見直す。ますます眠れなくなる。ようやく朝6時すぎになって少しうとうととした。

 有馬記念の前夜から私は相当入れ込んでいたらしい。
 ことしの有馬記念は、終わってみればそれしかないという結果だった。しかし、超スローペースでレースそのものは直線だけの差し比べ。確かにゴール前は見ごたえのあるレースだったが、見所はそこだけしかなかった。印象に残るレースではあっても、レース内容は凡戦。私はあまり評価をしていない。

 しかし、超スローペースになってもグラスワンダーとスペシャルウィークは強かった。それは彼らの精神力の違いなのかもしれない。もちろん2強とも弱点がないわけではなかった。グラスワンダーはジャパンカップを回避せざるを得なかった結果、調整過程に狂いが生じた。当然、万全な体調ではなかったはずだし、距離とスタミナの問題もあったはずだ。スペシャルウィークも右回りに実績がなく、ジャパンカップの疲れも云々されていた。スローペースに対応できない脚質上の問題も指摘されていた。
 しかし、2強ともその弱点をものともしなかった。
 もし、このレースを評価するとしたら、グラスワンダーもスペシャルウィークも自分の弱点を完全に克服してハナ差の戦いをしたということではないか。それが2強のすごいところ、一流馬の証なのではないか。それが他の馬たちと違ったのだろう。

 誰にでも弱点はある。適性もある。しかし、人として生きるために克服しなければならない自らの弱点、弱さに背を向けてはいけない。いくつになっても成長できる人間でありたい。馬券は当たったけど収支はマイナス。それでもグラスワンダーとスペシャルウィークに、人としての感動を覚えた。

 有馬が終わって薄暗くなりかけた西船橋駅までの道のりをひとり歩く。寒さも眠気も感じなかった。さようなら1999年。

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1999年12月22日 (水)

第6回 有馬に心みだれる

 やっといま、有馬記念の原稿を書き上げて送ったところ。普段なら心が決まってすっきりするものなのだが、「うーーーん」と、うなりたい気分。自信がないからではない。私なりに思いを込め、調べ尽くして出した結論である。しかし、やっぱりダービーと有馬記念だけはどんなに自信を持って書いても、あとが落ち着かない。調べ尽くしてもまだ足りないところがあるのではないか、見落としはないか、気が付かないでいることがあったのではないかと思いが乱れる。締め切りの時間ぎりぎりまで悩み抜いて、考え続けて、出した結論はスペシャルウィークだった。

 今年はスペシャルウィークとグラスワンダーが2強。スペシャルウィークはジャパンカップの激走の疲れが気になるし、グラスワンダーは昨年の有馬以降、軽いスピード中心の距離ばかりで、中山の2500メートルに耐えるスタミナに不安を残している。  
ただ、過去のジャパンカップ連対馬は有馬で勝てないという巷間いわれるような傾向はあまり意味がない。調べてみると凡走は確かだが、多くは調子の維持しにくい牝馬のことであり、せん馬のレガシーワールドは厳しいペースを2番手で追走していたために、疲労が残ったのではないかと思える。そのデータを根拠にスペシャルウィークの評価を下げる必要はないのではないか。スペシャルウィークは自分のペースで中団待機、直線抜け出したもので、調子を崩すほどの大きな疲労が残っているとも思えない。  
穴っぽいところで面白いのは、ステイゴールドとテイエムオペラオー、ツルマルツヨシなど。私はあくまでスペシャルウィークにこだわりたいが、スペシャルウィークとグラスワンダーの2強を加えて、5頭のボックスでという買い方もあるかもしれない。
どうころんでも1999年の最後の最後。こころからご幸運をお祈りいたします。
 
 有馬記念をまたずに、大川慶次郎氏がお亡くなりになった。自分が予想家の端くれに名を連ねるようになる以前、大川先生は私のもっとも好きな評論家であった。走破タイム分析にも造詣をもたれていたし、誰にも左右されない自分自身のスタンスを貫かれた姿勢に先生の真骨頂があったのではないか。先日、ブリーダーズカップでお顔を拝見したが、多少お疲れの表情にみえた。先生ならどんな予想を立てられたであろうか。

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1999年12月20日 (月)

第5回 おヒゲさん

 ヒゲの博労・米田氏がニュージーランドから帰ってきて、最近よく行く新宿のおでん屋「おぎん」で土産話を聞く。
「西田さん、当たっちゃったよ。トライフェクタ(3連単)。1、2着はこれと決めて3着はわからないから、総流ししたらさ、人気薄が3着。」

 300倍以上もついたらしい。海外で大きな馬券を当てると、すごく得した気分になるものだ。わたしも昨年のブリーダーズカップでは、当たり馬券で旅費もおみやげ代も全てまかなうことができた上、持っていった現金も増えて帰ってきた。海外の馬券は馬単や3連単が中心。なかなか当たらないけど、当たればでかいし、楽しみも大きい。

 米田氏とは昭和23年生まれの同い年のよしみもあって、一緒に北海道やブリーダーズカップに行ったりと、つきあいも長くなってきた。博労という言い方は古くさいが、辞書によると「牛馬の優劣を見分ける、牛馬の売買・周旋をする人」(小辞林・三省堂刊)とある。要するに、牧場をまわっては良さそうな馬を見つけて、馬主に売るのが本来の仕事。ただ、厩舎の選定とか、調教師との打ち合わせ、育成場や調教のチェックとか、馬主に代わってしなければならないサービスも多岐にわたる。そのため、自宅は東京にあるのだけど、年中、北海道と美浦、東京を、また全国の競馬場を行ったり来たり。最近は海外も多い。

 米田氏は大学を6、7年かかって卒業後、血統センターを経て、20代後半からいまの仕事に携わってきたが、人なつっこい風貌と愛嬌のある性格からか、その世界では「おヒゲさん」と愛称で呼ばれることが多い。

 ただ、米田氏は顔の上下が逆転、ヒゲは立派なのだが頭髪がない。
 「オヤジもハゲてたからな。親戚もハゲばかりだし。遺伝だから」
と気にすることもない風だった。

 ところが、今年一緒にブリーダーズカップに行ったが、出発前からアメリカで評判の毛はえ薬「老源(ROGEIN)」を買うつもりで、いろいろ調べもしてきたらしい。(ちなみに昨年は例の「バイアグラ」だった。)
 かくいう私もすっかり頭髪が薄くなり、頭頂部は無毛である。
 「お父さんもアデランスにしたら」
と、子供にちゃかされるこの頃、気にならないわけじゃない。
 「ROGEINなら私も使ってますよ。1カ月くらいになるけど、ほら、産毛みたいなものが生えてるでしょう。」
 アメリカでステーキハウスを経営する岡部氏が、薄くなった頭頂部をあられもなくおしひらき、産毛の存在を力説するに及んで、私も少しその気になった。
 駄目もと、ということであれば気も楽だ。岡部氏から3セットを手に入れ、アメリカから帰ってからは、朝晩、鏡の前でゴシゴシ刷り込むのが日課になった。
その甲斐あってか、最近徐々に効果が現れてきていて、少しうれしい。

 「どうだ。少し生えてきただろう」
 自信を持って子供に聞いたら、「べつに」という反応しか返ってこなかったが、間違いなく生え始めているのだ。
 米田氏も髪の毛に勢いが出始め、お互いにハゲ頭をさすりながら、
 「いやー、これはすごいね。生えてきたよ。髪がふさふさになってさ、ひと間違いされたらどうしよう」
と余分な心配をしながら楽しんでいる。今度、市丸さんにも教えてあげよう。
 

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1999年12月15日 (水)

第4回 季節と走破タイム

 まだ夏の名残のような日差しに照らされ、汗まみれで始まったG�Tシリーズ。
衝撃の秋華賞からもう2ヶ月近くすぎた。今週のスプリンターズ・ステークスはキングヘイローとブラックホークを中心に買おうと思っている。それにしても、いつの間にか冷たい風にさらされながら、コートの襟を立てなければならない季節になった。年々歳々日々是好日。ならいいのだけど、良いことばかりはないのが人生。馬券も1年の中で良かったり悪かったり、波があるらしい。それが生きているという証だ。

 人間に限らず生物には1年を通して、生体のリズムが存在する。
 サラブレッドの場合、一般的に秋に最も能動能力が向上する。JRAの競走馬
総合研究所の調べによると「数学的な方法を使って調べたところ、走行タイムは
季節によって周期的に的に変化していることがわかった。このリズムはどの年齢
においても見られる。1600m走行タイムの月ごとの変化を比べてみると、加齢による変化を伴って春は遅く、秋に向かって速くなっていく。」(日本中央競馬会競走馬総合研究所編「サラブレッド!サラブレッド!?」緑書房刊)

 同じ馬が同じ距離を走っても、春より秋の方がいいタイムが出る。
 スピード指数はスピードとスタミナのバランスのよい馬を上位に取り上げる理論的関係から、スピードにかたよる秋競馬は苦戦することが多い。(それだけに、秋競馬は適性に注意を払わなければならないということだろう。)当然、先行指数が高くても、それだけでは意味を持ちにくいレースが続く。
しかし、寒さが深まるにつれ、走破タイムは徐々に悪くなっていく。そして春のクラシックシーズンあたりまで、スピードよりもスタミナのウェイトが高くなっていく。秋競馬では通用した軽いスピードも春は足かせになることが多い。サラブレッドの周年のリズムから、冬から春にかけての競馬はスピードに加えてスタミナの核がいるのだ。勢い先行指数が低い馬は連対しにくくなる。

 ただ、A馬は通年で35パーセント前後の連対率があるが、春4月と秋10月のA馬の連対率を比較しても、ほとんど差は見えない。季節的要因に関わらずA馬はA馬としての強さを発揮しているが、スタミナの指標としての先行指数の連対率は多少違いあるのではないか。

 記憶に新しいところでは1997年の皐月賞、サニーブライアンとシルクライトニングで決まった5万馬券はD=AYという直前指数上位馬というだけでなく、先行指数もまた上位馬の組み合わせだった。 

 秋競馬とこれから迎える春競馬は細部で必要な能力が違う。サラブレッドの生体リズムの違いを頭に入れて、馬券も組み立てられなければならない。
 

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1999年12月 9日 (木)

第3回 中野栄二調教師に聞く

 12月の初旬、高田馬場の事務所で中野栄二調教師の話を聞く機会があった。
 世間で騒がれるような血統の馬はいないのに、関東のランキングで上位に位置するにはそれなりの調教法があるのではないか。その秘密が聞きたかった。

「調教時計は気にしないですよ。問題はリラックスして、いいリズムで走ったかどうか、その後の息づかいはどうだったかが問題なのであって、私は手帳に調教タイムを記録したことがない。馬体重も同じです。一切気にしない。」
「では、ほかの調教師の方々と何が一番違う点なんですか。」
「徹底的に歩かせること。それも早足でね。コースを走ることより大事なんです。若い頃イギリスに研修にいって教わったことですけどね。それで6割は仕上がる。後はさーっと流す程度のキャンター。これが2割、残りの2割が手入れを入念にすることです。」
「早足だけで運動量をこなすというと、厩務員の方々は大変ですね。」
「そうですね。大変です。ただ、うちにはすごい血統の馬が来るわけではない。でも、われわれの努力で1勝はできると思うんです。何とか勝たせて上げたいという気持ちが、今のところ成果を上げているんじゃないかなと思います。」
「じぁ、どのレースを使うかはかなり考えている?」
「どこなら勝てるのか。それに一番頭を使いますね。私が一番真剣なのが番組表を見てる時間でしょうね。それには日頃からその馬の個性と可能性を引き出せるような調教が必要なんです。画一的にならないように、マンネリにならないように、サラブレッドが楽しみを感じるような調教ができるように、気を使っています。」
「先生はあまり血統のことも気にならないようですが。」
「気にしないといったら嘘でしょうけど。馬を選ぶとき、真っ先に眼を見るんです。体や脚は成長と調教で変わる。でも、眼だけは変わらないんですよ。キリッとした眼の馬がいいですね。」

 奥さんと娘さんを含めての、少人数の内輪の話だったから、聞きにくいことも聞けた。
 中野調教師が騎手の時代、アイネスフウジンでダービーを制したことはすでに日本競馬の歴史になりつつあるが、その栄光の翌年、1勝もできなかったという。
「大変だったでしょう。」
「その年の年収は200万円でしたから。」
 奥さんがあっけらかんと答えてくれたが、優勝劣敗、結果だけがものをいう世界だけに、1勝もできないと生活も苦しかったのではないか。どうやって生活してたのだろう。人情話ではないが、栄光の影にある苦節の時代のことに、ほろりときてしまった。

 そういえば、スプリンターズ・ステークスにトロットスターを登録するといっていた。
 がんばれ!!!

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1999年12月 6日 (月)

第2回 それぞれに強い

 ジャパンカップでは凱旋門賞馬のモンジューにスペシャルウィークが勝った。 エルコンドルパサーは凱旋門賞でモンジューに負けた。同じように凱旋門賞で負けたデイラミがアメリカのブリーダーズカップを勝った。どの馬が本当に強いのかと問われたら、「みんなそれぞれに強い」というだろう。

 スタミナを要する馬場ではモンジューが強いし、軽いタイムの出やすい芝ではスペシャルウィークが上位だろう。その中間的な馬場状態ならデイラミやエルコンドルパサーが強いのではないか。全ての距離で、あるいはどんな馬場状態でも絶対的に強いといえる馬はいない。モンジューが強いのはフランスの重い芝で、モンジューが軽い日本の芝で負けたからといって、評価が下がるわけではない。もし、フランスでジャパンカップが行われたら、間違いなくモンジューが勝っていたのではないか。それは個性と適性の違いによってもたらされる結果だ。個性と適性は遺伝的にもたらされる筋肉、速筋と遅筋の比率の差が大きく関与する。 馬場状態を常に意識して、競馬と向かい合っていると、そのこと「個性と適性の重要性」がよくわかる。

 「強い馬はどんな状況下でも強い」という信念がモンジューを来日させたのかもしれないが、もしそうだとしたら、それは少し甘すぎないだろうか。フランスと日本の馬場は全く違うことを意識してはいなかったのだろうか。4着ならむしろよく頑張ったと思えるくらいで、さすがに能力の高い馬だと思う。ただ、本当に勝つ気なら、エルコンドルパサーがそうしたように、もっと早く来日して日本の馬場にあったスピード系の筋肉を鍛えるべきであった。(ということは、凱旋門賞は出走できなかったとは思うけど)。

 競馬は否応なしに国際化への道を歩む。日本だけ例外的に鎖国的な島国競馬をしていくことはできない。まして、日本は競馬の賞金も高いし、馬券の売り上げもすごい。世界の競馬関係者にしてみればオイシイ市場なのだ。アメリカの馬もヨーロッパの馬も、オセアニアの馬も日本で稼ぎたいし、日本馬は日本馬で名誉を求めて世界を走りまわりたい。競馬に国境がなくなり、世界を舞台に自由に走り回るワールドカップ方式の競馬新時代はそんなに遠いことではないだろう。

 とすると、個々の馬の適性を十分に見極めた上で、その馬にあったコースとレースをシビアに選択しなければ勝てない時代に向かう。これからは、はじめからジャパンカップを勝つために仕上げられる馬が現れるだろうし、凱旋門賞を勝つために調教される日本馬が出てくるはずである。国際化するレースの中で、馬券もまた、個々の馬の適性を見極める必要があるのではないか、と思っている。
 

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