« 1999年12月 | トップページ | 2000年2月 »

2000年1月24日 (月)

第11回 ただいま新基準タイム作成中

 先週ずっとホテル住まいだったせいか、昨日から少し風邪気味で体調が悪い。昨日は久々競馬場には出かけず、コタツに潜り込んで、電話投票で馬券を買った。成績? 行って来い状態。

 昨年末から始まった基準タイム14版のデータ整理と計算が佳境にさしかかっている。事務所にいるとお客さんや電話に気を取られてしまうので、毎年今の時期だけはホテルに逃げ込むことにしている。毎日、毎日、昼も夜も、ひたすら馬場指数の計算を進める。馬場指数の計算は意外と集中力のいる仕事だから、余分な雑音で意識を分断されたくないためだが、しかし最近は携帯電話のせいで、どこにいても電話はかかってくる。
 「忙しいかい?
 「はいはい、忙しいみたいです。わかってたら電話するなよ」
 お髭の米田氏からだ。
 「遊びに行こう」
 「忙しいんだから」
 「気分転換だよ」
 困ったことに、数分もしない間に着替えを始めている。

 池袋のホテルからタクシーに乗って新宿についたのは10時過ぎ。鹿児島の中野氏と3人でクラブで騒ぐ。その後おでん屋で飯を食べて、ホテルに戻ったのは2時過ぎだった。帰っても仕事をするつもりだったから、あまり飲んではいなかったが、意識を集中させるのに少し時間がかかった。それから朝まで馬場指数と格闘し続けた。

 忙しいのなら携帯の電源を切っておけばよいのに、それができない。ふと、意識が集中できず、とぎれてしまう時もあって、そんなときは誰かと話がしたいと思うし、ホテルで一人で食事をするのはかなり寂しい。誰か電話でもかけてこないかと思うときに限って何もない。わずかな時間の隙間さえ、耐えられない孤独にさいなまれる。米田氏ではないが、つい誰かに電話をしたり、遊びに呼び出すことになってしまう。

 携帯電話がいまほど普及していないときは、そう簡単に連絡がつかなかったので、突然の寂しさにも耐える自分が存在できたが、誰もが携帯を持っているいまは、寂しさに耐える前に電話をしてしまっている。 当然、誘い方がわがままで、強引になるものらしい。

 携帯は人をますます孤独に、忙しくする。

 そう、新しい基準タイムの話でした。新基準タイム14版はなかなかの出来です。今週は最後の追い込み、できるだけ誘いを断って集中してやるつもりです。多分予定通り2月の上旬にはできあがるはずです。ご期待ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2000年1月10日 (月)

第10回 成人の日

 朝方の雨も上がって、凛とした冬の青空が仕事場の窓に広がっている。

 30年も前の成人式の日、私は何をしてたのだろう。地元の名古屋にいたから小学校で行われた成人式には出席した記憶があるが、その時どんな行事があったのか、終わった後皆と何をしてたのかまでは思い出せない。長髪にジーンズ。それが時代のスタイルだったが、その日は親に買ってもらった新調の紺のスーツに窮屈な思いをしたことを思い出す。  

 学生運動のまっただ中の二十歳だった。全てが心地よい思い出ではない。ともに学生時代を過ごした同世代の仲間に会っても、その時代のことを語ることはあまりない。50を過ぎた今も、自分の中に収拾のつかない混乱の魂が存在しているせいかもしれない。自分の無知や弱さ、卑怯さをいやというほどさらけ出され、地べたを引きずられるような憂愁の時代だった。思い出したくない、他人に語りたくない自分の青春って、いったい何だったのだろう。  

 あわただしく正月競馬が終わって、きょうは成人の日。つい懐かしくもあり、つらくもあった自分の二十歳の日々を思い出す一日だった。ときおり、その頃好きだった女の子のことは思い出すが、青春時代といっても、思い出したくないような時間があるのはやっぱりやるせない。  

 事務所にも今年成人式を迎えるスタッフが3人いる。せめて精一杯、好きなことだけを好きなように、生きてほしい。どうか、頑張りすぎないように。自分が一番自分らしく生きられるように、リラックスして、ゆっくりと、自分の運を信じて、人生を楽しんでほしいと願っている。  
 成人の日、おめでとう。  

 9日、中山のダート重賞・ガーネットステークスは明け5歳のトロットスターに期待したが、11着と大敗。素直にダートの実力馬セレクトグリーンから入る手だった。トロットスターは近走、スワンS、富士S、スプリンターズSと芝の短距離で古馬に混じって好走、スピード指数も90を越すところまで上昇していただけに、ダート適性さえあればここでも戦えるはずだと思い本命に推した。デビューから5戦ダートを使って(2201)の成績が示すとおり、案外芝よりも適性が高いかもしれない。不安があるとしたらパワーのいるダート戦にも関わらず先行指数がなく、レースの流れについていけないという点だったが、結果その不安が当たってしまった。

 レース後、「芝の部分はよかったが、久々のダートに戸惑っていた」と藤原騎手はコメントしているが、多分そうなのだろう。3コーナーからもうペースについていけず、ずるずる下がる一方だった。たぶん力のいるダートを乗り切るだけのスタミナ系の筋肉のトレーニングがまだ不十分だったのだろう。今のところ軽いスピードを生かすレースをした方が持ち味が生きるのではないか。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2000年1月 6日 (木)

第9回 2000年、最初の反省

 正月は例年通りカミサンの実家に出かけた。去年は私が風邪をひいて正月中ずっと寝込んでしまったが、今年は娘がやはり風邪で寝込むことになった。昨年、義父が脳梗塞でリハビリ中のこともあって、比較的静かな正月だった。私は惰眠をむさぼりつつ、時々テレビを見て過ごしたが、どのテレビを見ても「西武・松坂」の生出演ばかりだった。  
 おいおい、松坂君、そんなにテレビに出てて大丈夫なの」と心配になってしまった。  

 別に西武のファンなわけでもないけど、スポーツに限らず、若い人たちが活躍するのを見ているのは心地よい。私は、「大人の仕事は若い人たちの夢の後押しをすることだ」と常々思っている。ない知恵でもできるだけ貸してあげたいし、できることがあれば力にもなってあげたいと思っている。未来を開く可能性は若さにあるし、彼らがこれからの時代を作っていくのだ。大人の知恵も多少は役立ててくれればいいと思いながら、時々、事務所の若いスタッフをつかまえては語ることもある。  

 ただ、それにしても松坂君は出過ぎなのじゃないか。後半はずいぶん疲れた顔をしてたけど大丈夫なのと聞きたくなってしまう。たぶん松坂君は頼まれると断れないやさしい性格なのだろうと想像するが、しかし、勝負の世界の人間として、やさしさは自分に向けた刃にもなることを忘れてはいけない。  

 昨日から2000年の競馬がスタート。今日は中山へ出かけたが、カバンにネクタイ姿の淋しげなおじさんも多く目に付いた。そう、会社も始まったんだろう。さすがに人が少なかった。  

 昨日、今日と中山の7レース以降、13レース予想して9勝。1万5110円の配当総額になった。買い目は90点だったから168パーセントの回収率。上々の結果が残せてほっとしている。ただ、外した4レースのうち3レースは素直にいけばとれたレースだった。たとえば2日目のメーン・サンライズSはバイオマスターの基礎能力が高いことはわかっていたが、休み明けがいやで多少無理して穴馬を探しに行っての敗北。8レースもアースオブグリーンを軸馬に選んだものの、人気がいやで原稿の締め切り直前にナイキアフリートに変えてしまった。7レースは連下抜けになったが、これも直前になって印を付け替えてしまっての抜けだった。外したレースが4310円と2580円。オイシイ配当だっただけに余計に自分のアホさに腹が立った。年があらたまっても相変わらずのようで、なかなかスケベ根性というか、性格までは変えられない。  

 予想はレースが始まるまでのこと。配当はレースが終わってからのこと。私も含めて、その区別が付かない人が多い。さっきまで「これでいい」と思っていたはずなのに、配当が低いことを知ると予想を変える。知らないうちに自分の予想が崩れる。150円の配当でも、万馬券でも自分のスタンスで、同じ精神力で買えばよい。

 予想の段階で、馬券を取った後のことばかり考えるようでは進歩はない。
 2000年、最初の反省。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 1999年12月 | トップページ | 2000年2月 »