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2000年3月29日 (水)

第19回 リッキーワールド

 先週は来客も多く、なんやかや気持ちがあわただしく「高田馬場日記」を書く間がなかった。おまけにもうすぐ4月だというのに、単行本「思考する競馬」の原稿も終わらない。毎日、少ない脳味噌を根こそぎ搾り取られるような苦悩の日々。うーーん、うーーん、うなりながら、終わりの見えない格闘が続く。
 とはいえ、世間は卒業式のシーズン。少しずつ春らしくなってきた。横浜の桜はきょう開花したというニュースもあった。    

 日曜日は米田氏と中山に出かけた。8レースのダート1200メートルに米田氏が関係するリッキーワールドが出走するというので、応援に出かけた次第。花粉症のひどい米田氏はこのところずっと自宅に閉じこもったままで、外にでるのは久しぶりらしい。  
 リッキーワールドは2戦目の新馬戦を勝って以来、ずっと大敗続き。アイネスフウジンの子で中野栄治厩舎の馬だから、調教師としての思い入れもあったのではないか。共同通信杯を走ったこともあったが、その後も2桁着順が続くというていたらく。スピード指数の伸びもない。ただ前走、藤田騎手が騎乗して後方から直線追い上げて5着と健闘。良化の兆しは見せていた。  

 馬場入場が始まる。リッキーワールドも新人の田嶋翔騎手を背に入ってきた。
 「良い毛艶してるんだよ。見てみてよ」と米田氏が私に双眼鏡を渡す。  
 馬の馬体を見る目など私にはないのだが、なるほど、ぴかぴか光っているのがわかる。  
 私はリッキーワールドの単勝と複勝を5000円づつ、リッキーワールドを軸に馬連を買った。  
 いつもはペースについていけず、後方からしかレースができないリッキーワールドだったが、今日は果敢に3番手を進む。4コーナーで少しおかれ気味になったが、直線を向くと根性を見せた。最内から気後れすることなく伸びてきたのだ。あわや勝つのではないかと思って35倍×5000円を暗算しながら、「いけ!いけ!」と叫んだが、ゴール前では外から伸びたエイシンクリバーンとタイキシリウスに交わされてクビ差の3着だった。

 「上出来、上出来、近い内にこのクラスは勝てるよ」  
 米田氏も私も含め、リッキーワールドの関係者は大喜びだった。
 五百万条件の馬であっても、競馬に変わりはない。馬券をはずしても関係者の喜びといったらなかった。私もうれしかった。  

 しかし、その後がいけなかった。日経賞はグラスワンダー、高松宮記念はブラックホークと圧倒的人気を背負った馬が大敗。ともに万馬券の決着となった。  
 グラスワンダーもブラックホークも、まるでいいところがなかったが、それ以上に私の馬券もまるでいいところがなかった。

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2000年3月14日 (火)

第18回 恩師

 今朝、夢を見た。  
 高校時代の担任・宮崎先生が大人になったわれわれを前に、熱っぽく語り続けている夢だった。

 そういえば過日、今年で勤続37年間の教師生活に別れを告げることになったので、教え子が集まって、「ごくろうさん会」をするという案内が来ていた。原稿の締切の都合で出席ができない旨、返信のハガキを出しておいたが、それが心に引っかかっていたのだろうか。私の結婚の折りには仲人もお願いした先生だった。

 人生の中にあるいくつかの出会い、そのどれをとっても宮崎先生との出会いに優るものはなかった。人生でもっとも影響を受けた人物をひとりあげよといわれたら、私は迷わず宮崎先生の名を告げる。

 宮崎先生が最初に担任を持ったクラスが、私たちの2Dだった。担任になった早々、生徒との腕相撲で骨折、入院の大騒ぎ。2ヶ月近く、病室がクラス運営の打ち合わせや面談の場所になったのも、ついこの前の出来事のような気がする。

 文学のこと、演劇のこと、映画のこと、愛について、正義の心について。何よりも人として生きるということの意味を、大声で語り続ける宮崎先生の声は、大人になりつつあった16歳の心にしみた。出来のいい生徒ではなかったが、私も16歳の少年としての純真さと素直さは持ち合わせていたらしい。本も読んだし、演劇も見るようになった。ちょっと恋愛もした。どれも受験には関係のないことばかりだった。でも、それらが私を勇気づけた。

 学校の成績は悪くても、自分なりに居心地の良い高校時代を送れたのは、ひとえに宮崎先生のおかげだった。

 いくつかの予期せぬ曲折に右往左往しながら、気がついたら学生時代には想像もしなかった競馬評論家になっていた。これはこれでお気に入りで、なかなかおもしろい世界だけど、こと志とはずいぶん違った人生になってしまった。ただ、したいことと、食べていけることが違ったとしても、それはそれでよいのではないかといまは思う。何をしていても、大切なのは人とものに対する真摯な心だ。

 高校時代のわずかな時間の中での、たったひとりの人との出会いが、私の人生観の大半を形づくった。
 51歳になるいまも、16歳のまま、私の心を揺さぶり続ける宮崎先生がいる。
 「ちゃんと生きてるか!」  
 そう、私はいま「ちゃんと生きてる」だろうか。自信はない。

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2000年3月 8日 (水)

第17回 サラブレッドの筋肉と遺伝

 単行本の締め切りが近づいてきて、追いつめられた重苦しい気分の毎日。精神的にかなりつらくなってきた。日常のデーイリー・ワークにもかなりの時間を割かなければならないので、現実的に残された時間はあまりない。アイデアがまとまらず、どうしても前に進めない日もあるにはあるけど、飲みに行く時間があるのなら、パソコンでゲームをしてる時間があるなら、パチンコしている時間があるなら、少しでも書かなければいけないのだけど、ついつい、安易な方に流れていく。きのうの夜は『JOHN COLTRANE AND JOHNNY HARTMAN』のCDを買った。早速、家に帰ってひとり聴き入る。パソコンは開いたものの原稿は書けなかった。書かなかった。
 
 今週前半は、速筋と遅筋について、千葉大の丸山工作先生と東大の石井直方先生の資料の読み込みに費やした。速筋と遅筋の組成比が遺伝によるものだということは、これまでも述べてきたところだが、サラブレッド場合、速筋と遅筋の組成比は87パーセントを標準としてプラスマイナス5パーセントの幅しかない。人間と違ってサラブレッドは筋肉の組成上は個体差が非常に小さい。そういう点でサラブレッドはすべてスプリンターの筋肉を持つといえるが、トレーニングによって、速筋の一部はいわゆる遅筋化が進み、スピードを維持しながらも、より長い距離を走り抜くことができるようになる。マイラーや、ステイヤーはトレーニングによって作られていく。
 
 そこで疑問がでてくる。距離の適性を決めるのは筋肉の組成比だけではないにしても、血統とか、遺伝とかは何を伝えてきたのか。ステイヤー血統とスプリンター血統は存在するのか、という素朴な疑問である。その疑問を解決できないまま、時だけが過ぎてしまった。

 今週、その疑問に答えてくれる石井直方先生のレポートを見つけた。  
 そのレポートを要約すると、アンギオテンシン変換酵素(ACE)という酵素の遺伝子にはI型とD型の2型があり、遺伝子は一対の組からなっているから、「II」「ID」「DD」の3種類の遺伝子型があることになる。I型の遺伝子を少なくともひとつ持つ人のACE活性はDD型の遺伝子を持つ人のそれと比べて低い。ACE活性が高いと血液の循環を制限し、運動時には筋への循環をも抑制する。毛細管の良好な発達は、低〜高強度にわたる範囲の持久力にとって重要なだけに、I型の遺伝子を持っているかどうかは、遺伝上スタミナがあるかどうかにつながっていく。

 「酸素マスクを使わずにエベレストに登頂した一流登山家25名について、ACEの遺伝子型を調べ、23名がI型(低活性型)の遺伝子を持つことを発見」、「さらに、一般人を用いて、筋持久力のトレーニング効果を調べたところ、II型の人の方がDD型の人に比べ、10倍もトレーニング効果が高い」。「筋繊維組成、ACEのいずれの場合も、筋持久力が残念ながら遺伝的素質に強く依存することを示している」というもの。  

 人のデータだから、それがそのままサラブレッドに当てはまるものなのかどうか、今の段階では分からないが、サラブレッドの遺伝上、スタミナを司る遺伝子が存在すると考えた方がステイヤー血統の存在を否定しないですむことになる。  
 いずれにせよ、人もサラブレッドもトレーニングなしに強くはなれない。

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2000年3月 1日 (水)

第16回 牧場のオッサンが2人きました

 先週はお客さんが多かった。おかげで新宿、高田馬場あたりを毎晩、飲み歩くことになった。そんなに酒が飲める方ではないが、気のあった連中と飲んでいるのは楽しいから、誘われればつい、深夜まで遊んでしまう。
 
 土曜日の競馬の後、北海道・三石の牧場主が二人やってきた。二人ともまだ四十代半ばで、地元の農協の中心メンバーでもある。これまでも何度か一緒に飲んでいるし、ブリーダーズカップにも一緒にいったから、気心も知れている。どういう訳か、最初に盛り上がった話はハゲ薬の効用についてだった。  

 ま、それはおいて、「牧場経営はますます厳しく、苦しい」らしい。  
 確かにバブル崩壊の後、馬の値段はずいぶん下がった。しかし、安くなったとはいえ、それでも買い手がつかないのが現状らしい。一方で外国馬を輸入する際にかかる関税も安くなってきて、外国馬に市場を奪われることも多くなった。JRAも外国産馬が出走できるレースをクラシックも含めて大幅に緩和する計画だから、その流れは止めようがない。  
 国内の牧場を取り巻く環境は、明るいきざしさえ見えず、冷え切った状態のまま今年も雪に埋もれているらしい。  

 「遅まきながら、インターネットを利用して、何ができるか」。農協としてようやく検討が始まったところらしいが、熱っぽく未来を語る彼らに暗さはみじんもない。  

 食事の後、飲みに行った先のキャバクラではオヤジギャグの連発で、大うけ、おおはしゃぎ。よく飲む、よく騒ぐ。元気がいい、オヤジそのもの。  

 とはいうものの、いつの間にか女の子と翌日の食事の約束まで取り付ける手際の良さもあったりして。楽しかったね。  

 出産シーズンを迎えるこれからが牧場の一番忙しい時期。ぜひぜひいい子が産まれてほしいと願うのは、当の彼らだけではない。国内に走る馬がいっぱいいれば何も、外国の馬を持ってこなくてもいいのだ。競争成績だけがものをいう世界だけに、外国馬と比べても安くてよく走る馬を作る以外に牧場の未来はない。  

 いまどんなに苦しくとも、彼らの底抜けの明るさに接していると、いつかそんな時代がくるかもしれないと胸が躍る。そんな時代がきてほしい。

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