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2000年7月13日 (木)

第30回 「・・・・」

 10日の月曜日、夜8時半すぎ。子供と孫たちに囲まれて、病院の固いベッドの上で義父は息を引き取った。
 心臓の鼓動を伝えるはずのモニターは、底にへばりついたままの一本の線を映し出している。
 静かだった。
 これが死というものなのか。

 倒れてから20日間、ただ眠り続けた義父が、死の間際に目を開け、何かを語ろうと口を動かしていたことが印象に残っている。生きる、生きたいという義父の最後の命の輝きだったのだろうか。あるいは自らの死を受け入れた後の、最後の言葉だったのだろうか。しかし、言葉にはならなかった。

 夏の夜、すすり泣く娘の手を引いて、談話室のソファーに座る。
 私はかける言葉もなく、ただ、娘の手を握っていることしかできない。
 思う存分泣けばよい。生と死の悲しみを知ってはじめて、君も大人になるのだ。

 それから翌日、通夜があって、告別式があって。
 ひたすら事務的にことは進んだ。

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2000年7月 5日 (水)

第29回 夜遊びはダメよ

 ダービーが終わり、安田記念が終わり、宝塚記念も終わった。ついこの前のレースなのに、すでに自分の遠い記憶の淵にしか残っていない。レースの前はあれほどの熱を持って語り、思考し、想像し、夢を見続けたのに、終わってしまえば、ただの日常が存在するだけだ。あの熱を取り戻すために、また週末に夢を懸ける。そうして死ぬまでずーっと、1週単位で時が過ぎていくのか。

 6月中旬、カミさんの父親がサツキの枝の手入れをしている最中に突然脳幹部の出血で倒れ、危篤状態に陥った。76歳という歳、出血の部位から手術も不可能で、回復の可能性はないと宣告されたまま、危篤状態はまだ続いている。医師の説明に納得がいく、いかないに関わらず、家族としては見守り続けることしかできない。すぐそこに死があるとしても、それでも心臓が止まるまでの間、少しでも長く家族とともにあってほしいと願う。人は死に向かって生きてる。私も、誰も。
 他にもいろいろあって「馬場日記」はしばらく休ませてもらった。

 ついでながら、5月に発売予定だった書き下ろしの単行本「思考する競馬」は3月末の締切を4月末まで伸ばしてもらって、それでも終わらなかった。結局、編集担当者を泣かせる羽目になってしまった。平謝りに謝って、もう少し時間をもらうことになったものの、いつになったら書き上げられるのか。
自分でも自信がない。
「どうしても秋には間に合わせてくださいよ」という担当者の言葉が時々頭をよぎる。

 そんなこんなで最近はあまり夜遊びにも行けない。ただひとつの楽しみは新宿のジャズバーでのライブセッションを聞きに行くことくらいだ。ライブはピアノ、ギター、ペース、ドラムスをベースに、時折サックスが入ったりする。10人も入れば一杯になってしまうようなほんとに小さな店なのだが、楽器がスペースを占領してしまって、店はますます狭くなる。ライブはマスターが気のあったメンバーを集めては週に1、2回の割で行われているが、毎回メンバーが替わるものの、どのプレイヤーもかなりレベルが高い。
それぞれがジャズバンドなどで活躍するプロだからそれは当然。それにしてもメンバーの息があったときの音を肌で感じる心地よさは至情である。お客に聞かせるためにライブをやっているというより、自分たちのセッションの楽しみをそのまま店に持ち込んだだけという感じのライブだから、気楽に聞いていられるのもいい。(ライブは不定期なので、店に電話で問い合わせてからお出かけください。新宿区役所通り沿いの第二和幸ビル6階「ニューインペリアル」電話03−5272−0698です。)

 今週の火曜日、ライブの後メンバーとどこかに飲みに行こうということになって、午前2時過ぎに馬場のキャバクラに出かけた。そこでワイワイガヤガヤと歌い、飲み、騒ぎまくって、朝の5時まで。久々の朝帰りになってしまった。翌日昼頃に目が覚めてぼーっとコーヒーを飲んでいると、カミさんが「昨日というか、今日というか、ずいぶん早いお帰りでしたね」と一言。
うーん。ばれてたか。
 

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