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2005年2月10日 (木)

第201回何かが足りないシービスケット

 「シービスケットがあったから」と、カミさんがビデオを借りてきた。
 単行本は1930年代のアメリカ社会とアメリカ競馬の雰囲気が伝わる、丹念なルポルタージュとして、面白く読んだ記憶がある。あらためて単行本の奥付を見ると2003年7月の初版になっているから、1年半ほど前だ。その単行本が出たときから、映画も観るつもりだったが、忙しさにかまけているうちに、ロードショウが終わってしまった。ビデオになったら借りよう、と思っていた矢先だったので期待して観た。
 しかし、ビデオは単行本ほどは面白く感じなかった。エピソードをつぎはぎしただけの平坦な出来で、シービスケットのドラマもないし、人間たちのドラマにもなっていない。これではロードショウもすぐに打ちきられるはずだ。
 何かが、人を感動させる大切な何かが足りないのだ。と、書いていて気がついたのが、先週の馬券の結果。
 日曜日は東京競馬場に行った。工事中のスタンドも8割方できあがって、西端のスタンドと連結された。空いっぱいに広がる巨大な屋根が、さらに大きく覆い被さるような圧迫感をもって迫ってくる。
 東京9レース、テレビ山梨杯は軸にしたグランリーオが1着。2着も予想通りなのに3着のオークルームがない。京都の9レースは1着のオジジアンボーイがないし、東京10レース金蹄Sは1、2着はあっても、内ラチから突っ込んできた1番人気の3着馬ラッキーブレイクがなく、3連単は63万馬券の決着。1、2、4着の6−4−8なら持っていたし、それなら110万馬券だったのにと、嘆いてもはじまらない。
 小倉記念も3着がなく、共同通信杯は軸が違って外した。京都のメイン・シルクロードSは人気薄のトップパシコを軸にマルチ馬券を買った。トップパシコはがんばって3着に逃げ粘ったのに、ここは2着に入った6番人気ギャラントアローがないという始末。
 何かが足りないのは、シービスケットのビデオではなく、私の馬券のこと。いつものことだが、私の場合は欲ばかりが前面に出過ぎ、素直さと知恵が足りない。それにしても、この日は運も足りなかったらしい。
 それでも結果として大きく負けなかったのは、最終レースをうまく乗り越えたせいか。来週は素直に行ってみようと思う。

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