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2009年9月29日 (火)

第510回ナビグラフで見る回顧76オールカマー、神戸新聞杯

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 菊花賞の前哨戦である神戸新聞杯は、指数上位馬が圧倒的に強く、なかでも前走指数の高いABC馬が過去10年間毎年連対しているレースだ。今年はイコピコ、シェーンヴァルト、リーチザクラウン、アントニオバローズ、レッドシャガーラなどの前走指数が高かったが、私は皐月賞を勝ったアンライバルドに期待していた。ダービーでの大敗は馬場状態にあると思っていたし、ゆったりと流れる阪神の外回りコースなら、持ち味の切れる末脚が使えるのではないか。スローペースでの切れる脚ならアンライバルドだろう。しかし、結果は違った。
 前走指数の最も高かった(A馬)イコピコが外から脚を伸ばして、逃げたリーチザクラウンをとらえて勝った。アンライバルドは直線の勝負所、伸びそうで伸びず4着に終わった。レースは想定通りのスローペースだったから、そのペースでアンライバルドが切れる脚を使えなかったのは、距離の問題ではなく、明らかに力が足りないか、調子がまだ、それほどではなかったからではないか。結果として、神戸新聞杯のスピード指数は80台の低調なものでしかなかったし、アンライバルドの敗因が、調子がまだ戻っていなかったせいだと思いたいが、この先、少し不安で、いろいろ微妙に思える。
 中山のオールカマーはマツリダゴッホがあっと驚く逃げ切り勝ち。2、3着も人気のドリームジャーニー、シンゲンが入って、結果も配当も順当なものになった。それにしてもホント、マツリダゴッホは中山だと、どうしてあんなに上手に走るのだろう。
 ただ、ナビグラフを見るとわかるが、近走スローペースでないレースでは、マツリダゴッホの上がりの脚が最も良かった。こういう馬がマイペースで逃げてしまえば、最後も脚が残ってしまう。まるで絵に描いたようなレース展開だったわけだが、ときどき横典騎手にはおどろかされるような「演出」があって実に楽しい。

 昭和34年9月26日、私は小学5年生だった。50年前のあの夜、伊勢湾台風が名古屋をおそった。風がいきまき、雨がたたきつけ、やがて町は停電した。港近くの私たちの住まいも、浸水が始まった。父と母と弟と妹と私、5人の家族は家を離れ、すぐ近くの小学校に向かったが、そのわずかな距離と時間の間にも、水はあふれるように増え続けていた。小学校はすでに避難してきた住民たちが身を寄せていた。ろうそくのわずかな灯りのなか、1階の教室にも水が浸水してきて、私たちは2階の教室に移った。1階と2階を結ぶ階段を、追いかけるような速さで水が駆け上がってくる。その速さは怖いほどだった。
 2階の窓から外を見ると、水がもう川のように流れている。そして、道路の向こうにあった盆踊りの櫓で、取り残された家族が助けを求めている。ロープを背にした父たちが、2階の窓から助けに向かった。その様子を私は2階の窓の手すりにつかまって、じっと見ていた。何度か失敗したが、ようやく櫓までたどり着いて、櫓にいた家族は助かった。
 翌日は、雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。2階の教室の窓からみると、校庭は一面の水に覆われて、鏡のようにその青い空を映し出していた。本当ならこの日に行われる予定だった運動会。その入退場門を示す4本の紅白のポールが、ひときわ鮮やかに、すくっと水の中に立っていた。
 景色に感動した思い出は、そのときの空の青さが、私の人生の中で最初だった。
 もう50年も前--の出来事。いまも思い出すことがいっぱいある。
 自衛隊のボート、冷たいにぎりめし、乾パン、飲み放題のヤクルト、豪華なアメリカからの救援物資、新聞に載ったドラム缶の風呂、校長室に並べられた死体。
 秋の終わりまで、小学校での避難生活は続いた。学校は3月まで休校になった。
 その頃、父も母も若くて元気な30歳代だったはずだが、いまはもう、ふたりともに逝ってしまった。
 先週の土曜日は伊勢湾台風50年に当たる日だった。その夜のことを思い出しながら、父と母の写真に手を合わせた。遠い昔のことなのに、あるいは遠い昔のことだからか、なぜか涙があふれて仕方がなかった。
 (競馬コラムのテーマとしては、どうかと思ったのですが、最後まで読んでくれてありがとうございます)

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コメント

伊勢湾台風では、たいへんな思いをされたのですね。
私の父は当時24歳で、愛知県庁の職員でした。
この頃、県庁内にはマージャン倶楽部というのがあって、マージャン好きの父も所属していたそうです。
父によると、給料よりもマージャンで勝ったお金の方が大きいこともしばしばあったとか(困ったもんだ)
伊勢湾台風の日も、大津橋の交差点にあった雀荘で「お!だんだん風が強くなってきたなぁ。風が止むまでやってくか」と、のん気にマージャン打ってたそうです。
この時父は、祖父母と3人で中川区に住んでおりました。
風も収まり、タクシーをひろって行き先を告げると「お客さん、悪いけど尾頭橋までしか行けんよ」と言われ、そこから先は浸水で進めないと言われたと。
しかたなく尾頭橋から歩いて帰ると、どんどん水かさが増し、家に着くともう1階は水没し、2階の窓からはしごがかけてあったそうで、爺さんにえらい怒られたそうです(当たり前だ)
ちなみにその日のマージャンも勝ったそうです。

投稿: 名古屋の伊藤 | 2009年9月30日 (水) 09時41分

 伊勢湾台風は私が生まれる前の出来事ですが、何度かニュースで当時の映像は見たことがありました。
 ローソクの灯りの中での水の恐怖、想像しただけでも怖く悲痛な気持ちになりました。
 自然の力にはかないませんが、それでも西田様のような当時の貴重な経験を今に生かし、防災意識をもち、災害からできるだけ身を守る準備は普段から行っていかなければならないと痛感しております。
貴重なお話ありがとうございました。

投稿: ポンポコ | 2009年10月 2日 (金) 19時02分

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